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SEOの歴史を振り返る〜検索エンジンの誕生から生成AIまで〜

SEOに取り組んでいると、何をすべきか迷う場面が必ず訪れます。そんなとき、確かな手がかりになるのが歴史です。SEOという営みが約30年、何と向き合い、どう変わってきたのか。その成り立ちを知ると、いま自分が何をすべきかが、自ずと見えてきます

この記事では、検索エンジンの誕生から生成AIの登場まで、SEOの歴史を通史として振り返ります。

目次

第1章:検索エンジンの誕生とSEOのはじまり(1990年代)

すべての始まりは1990年代にあります。検索エンジンという仕組みが生まれ、競争の末にGoogleが台頭し、そしてSEOという言葉が生まれるまでを見ていきます。

世界初の検索エンジンからGoogle登場まで

世界初の検索エンジンとされるのは、1990年に登場したArchie(アーチー)です。といっても、今のようにWebページを検索するものではありません。当時はまだWebそのものが生まれたばかりで、Archieが探せたのはサーバー上のファイル名だけでした。

Webの拡大とともに、1993年頃から、リンクをたどってページを自動で見て回るプログラム、今でいうクローラーの原型が登場します。「巡回して、索引を作り、検索に応える」という現在の検索エンジンの基本形は、ここで生まれました。

このあと1990年代半ばにかけて、検索サービスは2つの方式に分かれて競い合います。ひとつは、クローラーが自動でページを集めるロボット型。AltaVistaやLycosなどが乱立しました。もうひとつは、人間がサイトを審査し、カテゴリに分類して整理するディレクトリ型。その代表が1994年に生まれたYahoo!です。当時はWebサイトの数が限られていたため、人の目で選んだディレクトリのほうが質が高い、という時代がしばらく続きました。

しかし、Webは爆発的に成長します。数万サイトの時代なら人力で追えても、数百万、数億ページとなれば物理的に不可能です。ユーザーの使い方も「カテゴリをたどって探す」より「キーワードを打って一気に飛ぶ」へと変わっていき、勝負はロボット型に傾いていきました。

そして1998年、Googleが登場します。創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが、スタンフォード大学の大学院生時代に書いた研究論文がその原点です。検索結果を関連度順に並べること自体は先行する検索エンジンも行っていましたが、Googleの革新は、ページの中身だけでなく他のサイトからのリンクを評価に使ったことでした。リンクを「他者からの投票」と見なすこの仕組みは、PageRank(ページランク)と呼ばれます。多くのサイトから紹介されているページは、それだけ価値が高いはずだ。この発想が検索の精度を一変させ、Googleが王者へ向かう出発点になりました。

出典:Google Research『The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine

SEOという言葉の誕生

Search Engine Optimization(検索エンジン最適化)という言葉が使われ始めたのは、1997年頃とされています。誰が最初に言ったのかは諸説あり、確定していません。

興味深いのは、言葉が生まれる前に、実践が先にあったことです。1995〜96年頃にはすでに、検索結果の上位に出すために、ページにキーワードを過剰に詰め込む、背景と同じ色の文字でキーワードを隠すといった手法が横行していました。検索結果の順位がビジネスの成果に直結すると気づいた人たちが、検索エンジンの仕組みの裏をかこうとしていたのです。

つまりSEOの歴史は、その始まりから「検索エンジンをハックしようとする側」と「それを防ぐ検索エンジン側」の攻防として幕を開けました。この構図は、このあと30年にわたって形を変えながら繰り返されていくことになります。

出典:Search Engine Journal『20+ Years of SEO: A Brief History of Search Engine Optimization

第2章:リンク戦争の時代(2000年代)

Googleの台頭によって、SEOの戦場は大きく変わります。キーワードの詰め込みから、リンクの奪い合いへ。2000年代は、リンクをめぐる攻防の時代でした。

リンクが商売になった

PageRankの考え方では、リンクは他者からの投票です。多くのサイトからリンクされているページは、それだけ価値が高いと評価される。この仕組みが主流になると、ハックを試みる側の発想も単純でした。投票が足りないなら、人工的に作ればいい。

こうして2000年代、リンクをめぐるさまざまな手法が生まれます。

  • リンクファーム(リンクを張り合うためだけのサイト群)
  • 相互リンクの文化(「お互いに張り合いましょう」と持ちかけ合う)
  • コメントスパム(ブログのコメント欄や掲示板にプログラムで自動的にリンクを撒く)
  • リンクの売買(「被リンク◯本で月額◯円」といった料金表が公然と存在)

なかでも極めつけがリンクの売買で、リンクを売ること自体を主力商品とするSEO会社が、日本にも数多くありました。

当時はこれらが実際に効いたのです。検索結果の順位が売上に直結する以上、お金でリンクを買えば順位が上がるなら、買う側にも合理性がありました。背景には、インターネット人口の爆発的な増加があります。日本のインターネット利用者は、1997年には1,000万人程度でしたが、2005年には8,500万人を超え、人口普及率は70%に達しました。検索結果の上位に表示されることの経済価値が、わずか数年で桁違いに膨らんだのです。

出典:総務省『平成17年 通信利用動向調査

Google側も対抗します。2005年には、コメントスパム対策としてnofollowというリンクの属性が導入されました。サイト運営者が「このリンクは投票として数えないでほしい」と検索エンジンに伝えるための仕組みで、現在もリンクの注釈として使われているrel属性の源流が、この攻防から生まれています。

出典:Google公式ブログ『Preventing comment spam』(2005年1月)

当時の日本はYahoo!とGoogleの二本立て

ところで、この時代の日本の検索市場は、今とは大きく様子が違いました。主役はGoogleではなく、Yahoo! JAPANだったのです。

パソコンを買えばホームページはYahoo!に設定され、ニュースも天気もオークションもYahoo!で完結する。「まずYahoo!を開き、その検索窓で検索する」のが、当時の標準的なインターネットの使い方でした。

しかも当時のYahoo!は、検索の中身も独自でした。Yahoo!はもともと人力のディレクトリ型から出発した会社で、ロボット検索は外部から調達していました。しかし2000年代半ばに検索技術会社を買収し、YST(Yahoo! Search Technology)という自前の検索エンジンを構築します。YSTとGoogleはアルゴリズムが別物だったため、同じキーワードでも順位の出方が違う。日本のSEOは「Yahoo!対策」と「Google対策」の二本立てで語られていました。

この構図が終わるのが2010年です。Yahoo! JAPANは自前エンジンを手放し、Googleの検索技術を採用することを決めました。以降、Yahoo!で検索しても順位はGoogleとほぼ同じになり、日本の検索は実質的にGoogle一本となります。現在「日本のSEOはGoogle対策とほぼ同義」と言われる状況は、このときに生まれたものです。

出典:Google Japan Blog『Yahoo! JAPAN のより良い検索と広告サービスのために』(2010年7月27日)

第3章:Googleの逆襲(2011〜2013年)

リンクが金で買われ、低品質な記事が量産される。検索結果が汚れていくこの状況に対し、Googleは2011年からの数年間で、立て続けに大きな手を打ちます。SEOの歴史における最大の転換点です。

パンダアップデート:量産コンテンツへの反撃

最初の標的は、コンテンツの質でした。

当時、検索流入を目当てに、低品質な記事を大量生産する手法が広がっていました。他サイトの内容をコピーして語尾だけ変えた記事、1記事数百円でライターに書かせた薄い記事。「ページ数が多ければ検索の入り口が増える」という発想で、内容の正しさや独自性は二の次のまま、何千、何万ページと作られていく。こうした手法を事業として行う業態はコンテンツファームと呼ばれていました。

2011年に導入されたパンダアップデートは、これを直撃します。ページ単位ではなくサイト単位で品質を評価し、低品質なページを大量に抱えるサイトは、サイト全体の評価が下がるようになりました。「量産で入り口を増やす」という戦略そのものが、資産から負債に変わったのです。

出典:Google公式ブログ『Finding more high-quality sites in search』(2011年2月24日)

ペンギンアップデート:人工リンクへの反撃

次の標的は、リンクの質でした。

2012年に導入されたペンギンアップデートは、不自然なリンクのパターンを検出し、人工的なリンクで順位を支えていたサイトの評価を下げました。リンクだけのために作られたサイト群、短期間に集中する不自然なリンクの増え方、金銭でやり取りされたリンク。第2章で見たリンク戦争の主要な武器が、軒並み無効化されていきます。

重要なのは、買ったリンクが効かなくなっただけでなく、マイナスになったことです。それまでは、最悪でも効果がゼロになるだけでした。ペンギン以降は、過去に買ったリンクが原因で順位を大きく落とすサイトが続出します。リンクを外してもらうための交渉や、「このリンクは評価しないでほしい」とGoogleに申請する作業に追われる。そんな後始末の時代がやってきました。

この変化で、リンクを売るというビジネスモデルは実質的に崩壊します。売る側が摘発されただけではありません。買う側の顧客が「リンクはもういらない、むしろ外してくれ」と言い始めた。需要そのものが消えたのです。リンク販売を主力としていたSEO会社は、廃業するか、コンテンツ制作やサイト改善へと業態を転換していきました。現在のSEO業界が「コンテンツの質が大事」と口を揃えるのは、思想が進化したからだけではなく、この時期に旧来のモデルが商売として成立しなくなったから、という側面も大きいのです。

出典:Google検索セントラルブログ『Another step to reward high-quality sites』(2012年4月24日)

not provided:キーワードデータの非公開化

同じ時期、もうひとつ、実務の風景を一変させる出来事がありました。

2013年頃まで、サイト運営者は「訪問者がどんなキーワードで検索して自分のサイトに来たか」を、アクセス解析ツールでほぼ全件把握できていました。検索結果からリンクをクリックすると、参照元の情報に検索キーワードが含まれて渡る仕組みになっていたからです。

Googleはこれを段階的に廃止します。検索の通信を暗号化するのに合わせて、キーワードを渡さなくしたのです。アクセス解析の画面では、流入キーワードが「(not provided)」と表示されるようになり、この表記がそのまま事件の通称になりました。

背景にあったのはプライバシー保護です。人は検索窓には正直で、病気や家庭の事情など、極めて個人的なことを打ち込みます。それが訪問先のサイトに筒抜けになる仕組みは、確かに危ういものでした。折しも2013年は、政府による通信監視が暴露されたスノーデン事件の年であり、ネット全体で通信の暗号化が一気に進んだ時期でもあります。

とはいえ、SEOの実務には大打撃でした。「どのキーワードが集客に効いているか」という基本データが消えたのですから。現在、私たちがキーワード分析にSearch Consoleを使っているのは、この「丸見えの時代」が終わったあとの代替手段なのです。

出典:Google検索セントラルブログ『Accessing search query data for your sites』(2011年10月18日)

第4章:質と責任が問われる時代(2016〜2022年)

パンダとペンギンで、機械的なハックは割に合わなくなりました。しかし「検索で上位を取れば儲かる」という構造そのものは残っています。次に問題が噴き出したのは、コンテンツの正しさと、その情報を「誰が発信しているのか」という責任の所在でした。

WELQ問題:SEOが社会問題になった日

2016年、日本のSEOの歴史に残る事件が起きます。DeNAが運営していた医療・健康情報サイトWELQの問題です。

WELQは、医療や健康に関するキーワードで検索結果の上位を席巻していました。その裏側にあったのは、外注ライターに1記事数百円から数千円で大量の記事を書かせる量産体制です。専門家による監修はなく、記事の正確性はチェックされないまま、根拠のない医療情報が検索1位に並んでいきました。サイトの収益源は広告です。検索上位を量で押さえればPVが積み上がり、PVがそのまま売上になる。投資対効果だけを見れば、極めて効率のよい事業でした。

2016年末、この状況に専門家やジャーナリストからの批判が噴出し、一気に社会問題化します。DeNAはWELQを含むキュレーションサイト群をすべて閉鎖し、謝罪会見にまで至りました。その後の第三者委員会の調査では、2つの点が問題の原因として指摘されています。著作権侵害の指摘を受けないようにコピーする方法を、記事作成マニュアルに記載していたこと。そして、記事内容の正しさを専門家の監修などで確認していなかったことです。

出典:DeNA『第三者委員会調査報告書の受領及び今後の対応方針について

SEOの問題が業界内の話を超えて、一般のニュースとして報じられた初めての事件でした。「検索エンジンは内容の正しさまでは見ていない」という当時の隙を、大資本が組織的に突いた。そしてその検索結果を、何の疑いもなく信じる利用者がいる。検索順位が人の健康を左右しかねないという現実を、社会全体が突きつけられたのです。

E-A-Tとコアアップデートの時代へ

Googleの対応は異例のものでした。まず2017年2月、日本語検索のみを対象に、ユーザーへの価値提供よりも検索上位の獲得に主眼を置いた低品質なサイトの評価を下げるアップデートを実施します。さらに同年12月には、医療・健康分野に特化したアップデートを行い、医療従事者や専門家、医療機関などから提供される信頼性の高い情報が上位に表示されやすくしました。Googleはこのアップデートが医療・健康に関連する検索のおよそ60%に影響すると発表しています。世界共通の仕組みで動くGoogleが、特定の国の特定の問題に対して個別の対策を重ねるのは極めて異例で、WELQ問題の深刻さを物語っています。

出典:Google検索セントラルブログ『日本語検索の品質向上にむけて』(2017年2月3日)、同『医療や健康に関連する検索結果の改善について』(2017年12月6日)

この流れの中で重要になっていった概念がE-A-Tです。専門性(Expertise)、権威性(Authoritativeness)、信頼性(Trustworthiness)の頭文字で、Googleが検索品質の評価において重視する観点を示したものです。特に医療やお金など、人の人生に重大な影響を与えうる領域は、YMYL(Your Money or Your Life)と呼ばれます。こうした領域では、何が書いてあるかだけでなく、誰が、どんな立場で発信しているかが問われるようになっていきました。

並行して、Googleのアップデートの形も変わります。2018年頃から、Googleはコアアップデートと呼ぶ大規模な見直しを年に数回、定期的に実施するスタイルに移行しました。パンダやペンギンのように「何を標的にしたか」を説明する型から、特定の何かを罰したのではなく評価全体を見直した、とだけ伝える型への変化です。Google自身、コアアップデートについて「特定のサイトやページを標的にしたものではない」と説明しています。

出典:Google検索セントラル『Googleのコアアップデートについてサイト所有者が知っておくべきこと

E-E-A-T:経験という価値の追加

そして2022年12月、GoogleはE-A-TをE-E-A-Tへと更新します。先頭に加わったEは、経験(Experience)です。そのトピックについて実際に体験した、使った、訪れた。そうした実体験に裏づけられた情報の価値を、評価の観点として明示したのです。

これは単なる用語の変更ではありません。E-A-Tの専門性・権威性は、ともすれば資格や肩書きを持つ者の情報を重視する方向に働きます。しかし、たとえばある病気について、医師による医学的な解説と、その病気と共に生きる当事者の体験談は、種類の異なる価値を持っています。検索する人が求めているのは、いつも専門家の解説だけとは限らない。経験の追加は、当事者の生の情報に価値を認める更新でした。

また、この更新ではもうひとつ重要な変更がありました。それまで並列だった各要素の中で、信頼(Trust)が最も重要な要素として頂点に位置づけられたのです。経験も専門性も権威性も、最終的には「この情報は信頼できるか」を支えるためにある、という整理です。

なお、E-E-A-Tはランキング要因そのものではありません。Googleの品質評価ガイドラインという、検索結果の品質を人間の評価者がチェックするための文書の中で示されている概念です。アルゴリズムが経験スコアを直接計算しているわけではなく、Googleが目指す検索結果の方向性を示したもの、と理解するのが正確です。

タイミングにも触れておきます。このE-E-A-Tの発表は、ChatGPTの公開からわずか2週間後のことでした。偶然の一致ではありますが、その後AIによる文章生成が当たり前になる中で、「実際に体験したからこそ書けること」は、AIには作れない価値として急速に重みを増していきます。E-E-A-Tは結果として、次の時代の価値基準を先取りする更新になりました。

出典:Google検索セントラルブログ『Our latest update to the quality rater guidelines: E-A-T gets an extra E for Experience』(2022年12月15日)

第5章:静かに進んでいたもうひとつの歴史

ここまでの歴史は、ハックと対策の攻防を軸に見てきました。しかし同じ期間、Googleの内部では、攻防とは別のもうひとつの進化が静かに進んでいました。順位の変動として騒がれることは少なかったものの、後から振り返ると、検索のあり方を根本から変えていた変化です。

検索エンジンは意味を理解するようになった

1つ目は、検索エンジンが言葉の意味を理解する方向への進化です。

もともとの検索エンジンは、根本のところではキーワードの一致で動いていました。「東京 ラーメン おすすめ」と打てば、その語が含まれるページを探して評価する、という発想です。この土台を最初に大きく変えたのが、2013年のハミングバードでした。これはパンダやペンギンのような既存の仕組みへの追加ではなく、検索アルゴリズムの心臓部をまるごと載せ替える刷新で、Googleの検索責任者が「2001年以来の規模の書き直し」と語ったほどのものです。狙いは、語句の一致ではなく、検索全体の意図を解釈すること。スマートフォンと音声入力の普及で、人々が話し言葉のような長い文で検索するようになったことへの対応でした。世界の検索の90%に影響したとされながら、実装から1ヶ月間、誰も気づかなかった。順位を動かすためではなく、理解を変えるための刷新だったことを物語っています。

出典:Search Engine Land『FAQ: All About The New Google “Hummingbird” Algorithm

2015年にはRankBrainが導入されます。Googleが検索順位の決定に機械学習を使った、最初の事例とされるものです。実は、Googleに来る検索の約15%は、毎日、過去に一度も検索されたことのない言葉です。RankBrainは、言葉を数学的な情報に変換することで、こうした初見の検索を「過去のあの検索と意味が近い」と推測して処理できるようにしました。人間が書いたルールから、機械が学んだ判断へ。検索の重心が移り始めた瞬間です。

そして2019年、BERTが検索本体に組み込まれます。これは後の生成AIと同じ技術系統(2017年にGoogleの研究者が発表したTransformerという仕組み)から生まれたものです。文全体を見て、前後の関係から各単語の意味を理解できるようになりました。Googleが挙げた例では、「ブラジルから米国への旅行者にビザは必要か」という検索で、従来は軽視されていた「から」「へ」が示す方向を正しく理解できるようになった。前置詞ひとつの機微を扱えるようになったのです。Googleはこれを「過去5年で最大の飛躍」と表現しました。

出典:Google The Keyword『Understanding searches better than ever before』(2019年10月)

ハミングバードで意図を解釈する土台ができ、RankBrainで機械学習が入り、BERTで文脈の理解へ。検索エンジンの内部は、生成AIが騒がれるずっと前から、すでに言語を理解するAIになりつつあったのです。この系譜は、第6章で見る変化の重要な前提になります。

スマホへの対応

2つ目は、モバイルへの対応です。

第2章や第4章の背景で触れてきた通り、2010年代はユーザーがパソコンからスマートフォンへ移っていった10年でした。しかしGoogleの評価の仕組みは、長らくPC時代のままでした。このズレを正したのが、2つの段階的な転換です。

2015年のモバイルフレンドリーアップデートは、スマートフォンでの検索に限り、スマホで見やすいページを優遇するようにした変更です。このアップデートが異例だったのは、2ヶ月前に日付つきで予告されたことでした。Googleのアップデートは普段、予告なしか事後発表です。あえて宣言したのは、罰することではなく、世界中のサイトにスマホ対応を急がせることが狙いだったからでしょう。業界では「モバイルゲドン」と騒がれ、実際にこの前後で世の中のサイトのスマホ対応は一気に進みました。

出典:Google検索セントラルブログ『Finding more mobile-friendly search results』(2015年2月・日本語版)

2018年からはモバイルファーストインデックスへの移行が始まります。それまでGoogleは、PC版ページを本体として評価していました。これを逆転させ、スマホ版ページを本体として評価する方式への切り替えです。「PCサイトが本物で、スマホ版は簡易版」という当時の業界の常識が、ここで公式に終わりました。

出典:Google ウェブマスター向け公式ブログ『モバイル ファースト インデックスを開始します』(2018年3月)

なお、この時期には通信の安全性(HTTPS化)や、ページの表示速度・操作の快適さ(Core Web Vitals)といった技術面の品質も、順位を決める要素に加えられていきました。いずれも順位への影響は小さなものでしたが、「コンテンツの中身以外も品質である」とGoogleが宣言し、Web全体の水準を引き上げていった流れとして、この章の文脈に連なるものです。

クリックされない検索の始まり

3つ目は、いま振り返るともっとも重要かもしれない変化です。Googleが「答えそのもの」を見せ始めたのです。

2012年、Googleはナレッジグラフを発表します。人物・場所・組織といった物事と、その関係を整理した巨大なデータベースです。これにより、著名人や企業を検索すると、検索結果の脇に基本情報がまとまった枠(ナレッジパネル)が表示されるようになりました。発表時のスローガンは「things, not strings」。文字列の一致ではなく、世界の物事そのものを理解する、という宣言です。これは、それまで「答えが書いてあるページへ案内する」案内係だったGoogleが、「答えそのものを自分で言う」回答者に変わった瞬間でもありました。

出典:Google公式ブログ『Introducing the Knowledge Graph: things, not strings』(2012年5月)

2014年頃からは強調スニペットも登場します。質問型の検索に対して、答えにあたる部分をWebページから抜粋し、検索結果の最上部に枠で表示する機能です。通常の1位よりさらに上に出ることから「ポジションゼロ」と呼ばれました。サイト運営者にとっては、答えが抜粋で完結すればクリックされなくなる一方、選ばれれば1位より上に表示される。「引用されることが露出になる」という、それまでにない構造が生まれたのです。

検索結果の画面でユーザーの疑問が解決し、どのサイトもクリックされずに終わる。こうした検索は「ゼロクリック検索」と呼ばれるようになります。重要なのは、この現象が生成AIによって突然始まったわけではない、ということです。ナレッジパネルから強調スニペットへ、Googleが直接答える領域は10年かけて段階的に広がってきました。次章で見るAI Overviewは、断絶ではなく、この延長線上にある最終形なのです。

第6章:生成AIの登場(2022年〜)

ここまで見てきた30年の歴史は、検索エンジンという土俵の上での攻防でした。しかし2022年の終わり、土俵そのものを揺るがす変化が始まります。生成AIの登場です。

ChatGPTの衝撃

技術の源流は、実はGoogle自身にあります。2017年、Googleの研究者たちが『Attention Is All You Need』という論文を発表しました。ここで提案されたTransformer(トランスフォーマー)という仕組みが、現在の生成AIのほぼすべての土台になっています。第5章で見たBERTも、この技術から生まれたものでした。検索の王者が、のちに検索を脅かすことになる技術の生みの親だったのです。

出典:arXiv『Attention Is All You Need』(2017年)

このTransformerを使い、OpenAIという研究組織がGPTと呼ばれる言語モデルを開発していきます。モデルは年々巨大化し、性能を上げていきましたが、この時点ではまだ研究者や開発者の世界の話でした。

転換点は2022年11月30日。OpenAIがChatGPTを公開します。重要だったのは、技術の中身よりも見せ方でした。誰でも使えるチャット画面に載せて、無料で公開した。「AIに聞いたら、答えが返ってくる」という体験が、初めて一般の人の手に渡ったのです。反響は爆発的で、公開からわずか2ヶ月で月間ユーザー1億人に到達。当時、史上最速で普及した消費者向けサービスと報じられました。

出典:Reuters『ChatGPT sets record for fastest-growing user base – analyst note』(2023年2月1日)

検索の歴史にとってこれが何を意味したか。「知りたいことを入力すると、答えにたどり着ける」という体験を提供するサービスは、30年間、実質的に検索エンジンだけでした。その独占が崩れたのです。検索エンジンがリンクの一覧を返すのに対し、生成AIは文章そのもので答えを返す。ページを「探して並べる」のではなく、その場で「作って答える」。似ているようで、まったく別の仕組みが、検索の隣に突然現れました。

Googleが攻められる側に

この変化に最初に動いたのは、検索シェア2位のMicrosoftでした。OpenAIと提携を深め、2023年2月には自社の検索エンジンBingにチャットAIを搭載します。検索の王者に挑む武器を、ついに手に入れたという動きでした。

Googleも対応を迫られます。対話型AIのBard(現在のGemini)を急いで公開し、そして2024年、検索結果そのものにAIを組み込みました。AI Overview(AIによる概要)です。検索すると、結果の最上部にAIが生成した要約が表示され、その下に従来のリンクが並ぶ。日本でも2024年8月から本格的に提供が始まりました。

出典:Google Japan Blog『AI による概要 : ウェブにつながる新しい方法』(2024年8月16日)

ここで、第5章の最後に見た流れを思い出してください。ナレッジパネル、強調スニペットと、Googleが答えそのものを見せる領域は10年かけて広がってきました。AI Overviewはその延長線上にあります。ただし、決定的に違う点がひとつあります。これまでは、答えられるのは単純な質問だけでした。生成AIによって、複雑な質問にまで答えられるようになったのです。

検索結果の最上部でAIが答えを完結させれば、その下のリンクはクリックされにくくなります。第3章のパンダ・ペンギンが「ハックへの対策」、つまりルール内のプレイヤーを取り締まる変化だったのに対し、今回はゲームの盤面そのものが作り変えられようとしている。1998年にGoogleが登場して以来、検索の土俵を仕切ってきたのは常にGoogleでした。そのGoogleが、30年で初めて、外からの挑戦に応じて自らの検索を作り変えている。攻める側だった王者が、攻められる側に回ったのです。

この変化がSEOにとって何を意味するのか。それを考えるために、次の章では、これまでも繰り返し唱えられてきた「SEOは死んだ」という言葉を振り返ります。

第7章:SEOは死んだと言われ続けた30年

ここまでの歴史を踏まえて、最後にひとつの言葉を振り返ります。「SEOは死んだ」。SEOに関わっていると、いまも繰り返し耳にする言葉です。実はこの言葉、30年の歴史の中で何度も唱えられてきました。そして、そのたびにSEOは続いてきたのです。

7つの波を振り返る

「SEOは死んだ」論には、代表的なものだけでも7つの波がありました。

  • 2000年代前半:検索連動型広告の台頭
  • 2010年頃:SNSの台頭
  • 2011〜12年:パンダ・ペンギン
  • 2013年:not provided
  • 2010年代半ば:アプリの時代
  • 2016〜18年:音声検索ブーム
  • 2019年〜:ゼロクリック検索

順に見ていきます。

1つ目は、2000年代前半の検索連動型広告の台頭です。検索結果の上部が広告で埋まっていくのを見て、「お金を払って広告を出す時代になる。自然検索からの集客は終わる」と言われました。

2つ目は、2010年頃のSNSの台頭です。FacebookやTwitterが急成長し、「人は検索ではなく、人のつながりから情報を見つけるようになる。検索という行動自体が古くなる」と言われました。

3つ目は、第3章で見たパンダ・ペンギンです。「Googleを出し抜く技術としてのSEOは死んだ」。これは実際、その通りになりました。ただし死んだのは旧来型のハックであって、SEOそのものではありませんでした。

4つ目は、同じく第3章のnot providedです。流入キーワードのデータが見えなくなり、「データがないならSEOはもうできない」と言われました。

5つ目は、2010年代半ばのアプリの時代です。スマートフォンの利用時間の大半をアプリが占めるようになり、「人はWebではなくアプリの中で過ごす。Web検索は使われなくなる」と言われました。

6つ目は、2016〜18年頃の音声検索ブームです。スマートスピーカーが登場し、「画面がなくなれば、10本のリンクも消える。音声で答えがひとつ返るだけの世界が来る」と言われました。

7つ目は、2019年頃からのゼロクリック検索です。第5章で見た通り、Googleが直接答えを見せる領域が広がり、「検索されてもサイトに人が来なくなる」と言われ始めました。

並べてみると、共通する構造が見えてきます。これらは大きく2種類に分けられるのです。ひとつは「検索の形が変わる」という予測型。SNS、アプリ、音声検索がこれにあたりますが、いずれも検索という行動を置き換えるには至りませんでした。音声検索が典型で、騒がれたほどには普及しなかった。もうひとつは「ある手法が通用しなくなった」という実態型。パンダ・ペンギンやnot providedがこれにあたりますが、よく見ると死んだのは特定の手法やデータであって、SEO全体ではありません。特定の手法の死を、SEO全体の死と言い換えていたのです。

そして何より、検索という行動そのものは、この30年間、減るどころか増え続けてきました。Googleが処理する検索は、2016年時点で年間2兆回以上とされていましたが、2025年には年間5兆回を超えたと公表されています。だからSEOは、形を変えながら続いてきたのです。

出典:海外SEO情報ブログ『Googleが年間に処理する検索は5兆件超、AI導入で検索需要は衰えず

今回の波は何が違うのか

では、生成AIという8つ目の波も、これまでと同じなのでしょうか。

楽観する材料はあります。AIの回答にも情報源は必要で、AIは結局、Web上のコンテンツを読み込んで学習し、引用しています。「機械に見つけてもらい、理解してもらい、選ばれる」というゲームの本質は変わっていません。実際、AIの回答に引用されるための工夫を指す言葉がすでに生まれ始めているのは、1997年にSEOという言葉が生まれたときと同じ、新しい攻防の初期段階の風景です。

一方で、過去の波と質的に違う点もあります。過去の波の多くでは、検索行動とクリックは無傷でした。唯一の例外が7つ目のゼロクリック検索ですが、いま振り返れば、あれは今回の波の前触れでした。第6章で見た通り、検索体験の中心であるGoogle自身が、リンクを返す形からAIが答える形へと検索を作り変えています。外からの挑戦ではなく、本丸の改装です。AIが答えを完結させる検索が増えれば、検索はされてもサイトへの流入は減る。この「クリックの総量が構造的に減る」という現象が、いま実際に起き始めているのです。

つまりこう整理できます。過去の「SEOは死んだ」はオオカミ少年でした。しかし今回の波は、少なくとも「検索結果からの流入の量に依存するモデル」にとっては、過去とは区別して受け止めるべきものです。一方で、「機械に見つけられ、理解され、選ばれるための技術」としてのSEOは、対象が検索順位からAIの回答へと広がる形で、むしろ続いていく。死ぬものと続くものを、切り分けて見ることが大切です

そして、何が続くのかを見極める目を与えてくれるのが、ここまで見てきた歴史にほかなりません。

まとめ:歴史から見えてくること

検索エンジンの誕生から生成AIまで、SEOの30年を駆け足で振り返ってきました。

キーワードの詰め込みに始まり、リンクの売買が商売になり、パンダとペンギンがそれを終わらせた。量産されたデマが社会問題になり、品質と責任が問われるようになった。そして検索エンジン自身が言葉を理解するようになり、いまAIが答えを語り始めている。30年間、舞台も手法も変わり続けてきました。

しかし、この歴史を貫いていたものがあります。

検索エンジンの裏をかく手法は、どれだけ隆盛を極めても、必ず割に合わなくなってきました。キーワードの詰め込みも、買われたリンクも、量産された薄い記事も、一時は確かに効いたのです。それでも最後は例外なく対策され、ときには資産が負債に変わりました。生き残ってきたのは、いつの時代も、ユーザーにとって価値のある情報を提供し続けたサイトでした

これは偶然ではありません。検索エンジンは、ユーザーが求める情報に最も速くたどり着けるようにすることで支持を集めてきました。だからアルゴリズムの改良は、長い目で見れば必ず「ユーザーにとっての価値」へ向かいます。途中にどれだけ抜け道が生まれても、それを塞ぐ方向にしか進化しない。30年の歴史は、その繰り返しの記録です。

SEOに取り組んでいると、何をすべきか迷う場面が必ず訪れます。新しい手法が次々と語られ、「これからはこれが効く」「あれはもう終わった」という声に囲まれる。生成AIの登場で、その声はいっそう大きくなっています。

そんなときこそ、思い出してください。検索の形は、ディレクトリから10本のリンクへ、そしてAIの回答へと変わってきました。これからも変わるでしょう。しかし、その仕組みの先には、いつも「何かを知りたい人」がいます。その人にとって価値のある情報を提供すること。30年間変わらなかったのはそれだけであり、そして、これからも変わらないのはそれだけです。

迷ったら、歴史に立ち返る。この記事が、そのための地図になれば幸いです。

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